子どもの事故は「父親のとき」が多いと言われる理由
「パパ、子どもそっちのけで遊ばないでよ」
海へ出かける日、妻からよく言われる言葉です。
心外だと言い返したいところですが、思い当たる節がまったくないかというと、そうでもありません。
浜に着いて、子供以上にテンションがあがっているのを、妻に見抜かれているのでしょう。
新潟市の角田浜海水浴場で、8月10日、海水浴に来ていた親子3人が沖へ流されました。
中学1年生の娘さんと、小学3年生の息子さんが亡くなっています。
事故の経緯と、この浜で起きていた離岸流のことは、こちらにまとめました。
そしてこの事故のあと、ネット上で「子どもの事故は父親が見ているときが多い」という声が一気に広がりました。
同じように子どもを海へ連れていく側としては、聞き流せない話でした。
父親と一緒のときに子供が怪我をする?
「父親と一緒のときに子供が怪我をする」
そんな声を時々ネットやSNSで見かけます。
キッチンで熱いものをこぼしそうになった。
アレルギーのある食材を、確認しないまま出しそうになった。
ベランダや階段で、ひやりとした。
どれも「うちでもあった」という書き込みで、しかもそのほとんどが父親が見ていたときの話でした。
正直、私も自分の子育てを振り返ったとき、そんな心当たりがいくつかありました。
ただ、「これだけ同じ話が集まるのなら数字にも出ているのだろうか」と、警察庁が毎年出している「水難の概況」を開いてみました。
令和6年のものを見ると、事故にあった人が細かく分けられていました。
- 何歳だったのか
- どの都道府県で起きたのか
- 海だったのか、川だったのか
- そのとき、泳いでいたのか釣りをしていたのか
その年、中学生以下の子どもが28人、亡くなったり行方が分からなくなったりしています。
ところが、「そのとき誰がそばにいたのか」という欄は、どこにもありませんでした。
父親が見ていたのか?
母親が見ていたのか?
それともおじいちゃんおばあちゃんだったのか?
国はそもそも、その数字を取っていないようです。
もちろん、数字がないからといって、あの声が気のせいだったという意味ではありません。
むしろ逆で、お母さんたちが毎日のように感じているあの差は、国が数えていない場所で起きているというサインと捉えることができます。
というのも、国が数えているのは、事故が起きてしまったあとのことだけ。
その手前で、家の中で誰が何を見ていたかまでは、数えようがないからです。
同じ資料の後半には、家庭向けの注意書きも載っています。
そこにあるのは「その者を保護する責任のある者が付き添う」という一文でした。
ここにも、父親とも母親とも書いておらず、誰が付き添うのかは、それぞれの家の中で決まることだと考えているのでしょう。
もちろん、休日に子どもを海や川へ連れ出す係が父親になっている家庭は、決して少なくないと思います。
出かける回数が増えれば、そこで起きた出来事の数もそのぶん増えるもの。
それも本当のことでしょう。
ただ、お母さんたちが言いたいのは回数の話ではなく、父親が子どもと海や川に出かけたときの話でした。
波が少し高くても、「これくらい平気」と子どもを連れて入っていく。
浮き輪だけ持たせて、足のつかないところまで行ってしまう。
「俺が見てるから大丈夫」と言うわりに、もしものときの用意は何もない。
楽しませることには全力なのに、うまくいかなかったときにどう守るかが、遊びの中に入っていない。
お母さんたちが怖いと言っているのは、実はそこにあるのではないでしょうか?
家の中の失敗は、たいてい取り返しがつきます。
でも水の中では、それがきかないことがある。
「行くな」と言っているわけではない。
もしもの用意をしてから、思いきり遊ばせてあげてほしい。
あの声の中身は、たぶんそういうことなんだと思います。
では、なぜ父親の遊びからは、もしもの用意が抜けてしまうのか。
親の性格や、子どもへの愛情の差ではないと思っています。
もう少し詳しく見ていきましょう。
ママが心配していること
パパが子供たちと出かけるときの「気をつけてね」という六文字。
そこにはいったい何が入っているのか。
恥ずかしい話ですが、私はあれを長いあいだ、見送りの挨拶くらいに思っていました。
妻の頭の中では、たぶん出かけるずっと前から、いくつもの確認が動いています。
- 帽子はかぶらせたか
- 水筒の中身は途中で足りなくなりはしないか
- 日焼け止めはいつ塗り直させるか
その日の風の強さや、日陰があるかどうかまで、玄関を出るまでに一度は頭を通っている。
子供たちが怪我や急病になることなく無事に帰ってくること。
楽しむことも大事だけど、ママの一番の大事はそこだからです。
だからこそ、パパに確認しているのは
子どもが次にどう動くか
の予測をちゃんとしてねのお願いなのです。
いま何に夢中になっていて、それに飽きたらどっちの方向へ走り出すのか。
誰かが遠くへ行ってしまったとき、追いかけていくタイプなのか、その場で泣くタイプなのか。
台所に立っているときでも、後ろで椅子を引く音がすれば、その音が何をしようとしている音なのか、たぶん一瞬で見当がついています。
まだ起きていないことを、起きる前に片づけていく。
それを一日に何十回も、洗濯物をたたみながら、仕事の連絡を返しながら、同時に走らせている。
本人にとっては呼吸みたいなものなので、いちいち言葉にはしません。
ただ、言葉にしていないものは、人に渡しようがありません。
何十項目もあるという自覚は多くのママにはなく、本能的に行っているものだからです。
それゆえに、いざ送り出す時に出てくるのが「気をつけてね」というのは、パパとママではまったく意味が違っているのです。
ママの「気をつけてね」の重さをパパがあまりわかっていない。
だからこそ、そのあとで何かあった時にパパが責められてしまうのかもしれません。
そしてもうひとつ。
子どもの事故が報じられると、必ず出てくる声があるんです。
「母親は何をしていたのか」という声。
そのとき見ていたのが父親だったと分かっている場合でも、それが出てきます。
つまり、どちらが見ていても、最後に問われるのは母親のほうなんです。
その視線があることを、お母さんたちは知っています。
だから、自分がその場にいなかったとしても、起きたことを自分の責任として数えられてしまう。
任せるのが怖いというのは、夫の腕を信じていないという話ではないのでしょう。
取り返しのつかないことが起きたとき、いちばん自分を許せなくなるのは自分だと分かっている。
その想像のほうが、たぶん先に来てしまうのかもしれません。
心配しすぎだと言われ慣れているママほど、一度は自分のことを疑ったことがあるはずです。
私は心配しすぎなんだろうか、と。
それでも次の朝には、また同じ確認をしている。
しかし、それは母親としてとても自然なことなのです。
パパの「大丈夫」の中身
「子どもそっちのけで遊んでる」
これは、正直なところ当たっています。
私自身、海に着くと密かにいちばんテンションが上がっていたりするからです。
荷物を置くのもそこそこに、もう水のほうばかり見ている。
ただ、子供の見守りを面倒くさがっている気持ちがあるかというと、そういうわけでもありません。
今日は思いきり楽しませてやろう、という気持ちが先に立っている。
少しくらいチャレンジをさせたほうが、子どもにとっていい勉強になるという思いを父親はもっているものだからです。
一緒に少し遠い場所まで行ってみる。
一緒に岩場まで魚を見に行く。
高いところから飛び込みをさせてみる。
そういう経験を一度させておきたい、と考えてしまう。
そしてもうひとつ、これがいちばん大きいのですが、「自分がそばにいれば何とかなる」という感覚があります。
泳ぎには多少の自信がある。
手の届く距離にいる。
だから装備は、なくても何とかなる気がしてしまう。
ライフジャケットを着せるかどうか迷ったとき、その自信が子供の安全を薄くしてしまうのかもしれません。
しかし、それは絶対に止めてください。
溺れかけた人を助けるのは、たとえプロであったとしても至難の技だからです。
ここで大事なのは、「見ていない」わけではないということ。
妻に「ちゃんと見ててよ」と言われれば、こっちは「見てるよ」と答えます。
嘘をついているつもりは、まったくありません。
実際、子どもが水に入っていくところも、砂を掘っているところも、ちゃんと目に入っています。
ただ、パパとママでは、
同じ「見る」でも、見ているものが違っている
ということなんです。
私が見ているのは、いま子どもがどうなっているかです。
妻が見ているのは、その先にある安全のほうでした。
だから私は胸を張って「見てた」と言えるし、妻のほうは「見てなかったでしょ」と思う。
どちらも本当のことを言っています。
同じ言葉で違うことを話しているので、これは言い争っても決着がつきません。
しかし、父親の立場から言えば、これは母親のほうが正しいと言わざるを得ないでしょう。
子供の安全を天秤にかけてまで遊ぶ必要などどこにもないからです。
といっても、パパの子供との関わり方に意味がないわけではありません。
子どもが夏の終わりに覚えているのは、たぶん何ごともなく楽しんだ時間だったりするからです。
足がつかないところまで泳いだこと。
思いきり波をかぶって、二人で笑ったこと。
そういう時間は、その場で一緒になって遊んでいる大人がいないと生まれません。
ちゃんと安全が担保されているなら、子供に色んな経験をさせることは悪いものではないと思っています。
逆に、危ないものを全部先回りして消してしまったら、子どもは何も経験できないまま大きくなってしまいます。
問題は、水辺のように、一歩間違えれば一気にリスクが高くなる場所があるということです。
そういう場所でだけは、安全より楽しむが先に立ってはいけない。
やっかいなのは、今を見ているパパ側に自分の見落としが見えないことです。
もちろん、その感覚に疎いママもいるかもしれません。
目は開いているし、子どもも視界にいる。
何も起きなかった日は、それで正解だったことになってしまう。
そして何も起きない日が続くほど、自分は見ていられる人間だという自信だけが育っていきます。
準備を省いているという自覚はありません。
自分が準備そのものになっているつもりでいる。
ただ、その自信のせいで、子供をリスクに晒すことになってはいけません。
ママが感じているリスクを、パパ側がしっかりと理解する必要があります。
無事に帰ってくること。
ママにとって子供というのは一心同体の存在なのです。
チャレンジよりも、楽しむことよりも、とにかく安全を最優先する。
そういうママの願いを、パパは今一度、心にとどめてあげてほしいのです。
夫婦で話しておきたいこと
結局のところ、この話には悪者がひとりもいないんです。
ママは自分のこと以上に子供のことを考えている。
それこそ何十項目も子供の安全を見ている。
ただ、それだけのことなのです。
令和8年の夏は、家族レジャーでの水難事故が続いています。
「気をつけてね」という六文字の言葉には、そういう背景があることを改めて思い知らされます。
新潟の角田浜では、子供2人が亡くなる水難事故がありました。
その二日前には、子供を助けに行った親が亡くなる川での水難事故もありました。
https://theshow-jp.com/river-rescue/
そして角田浜の二日後、同じ新潟市西蒲区の海で、また親子が流されました。
この日は波が高く、近くの海水浴場は4つのうち3つが遊泳禁止になっていたそうです。
浮き輪につかまって遊んでいた6歳の男の子が沖へ流されはじめ、お父さんが助けに向かったところ、自分の浮き輪を失ってしまう。
二人でひとつの浮き輪にしがみついたまま、900メートル先まで流されました。
通報からおよそ1時間後にヘリコプターで救助され、命に別条はないとのことです。
私も同じ立場なら、迷わず水に入っていたと思います。
子どもが流されていくのを見て、動かない父親はいないからです。
ただ、助けに行く側に何も着けていなければ、二人とも流されてしまう。
どちらも、ライフジャケットをつけていなかったそうです。
「もしあのとき◯◯だったら…」
そうならないように、子供だけでもライフジャケットの着用を義務付けてほしいくらいです。
漁師は「海の怖さを知るまでは一人前とは言えない」と言いますが、海のプロでさえヒヤッとすることはあるのです。
自然の脅威というのは、親の行動でコントロールできるものではないからです。
私の家でも、海でも川でも湖でも、水辺に行く日は必ず着けさせています。
家族で釣りに行くときも同じで、あれは着けるものだと決めてしまっている。
決めてしまうと、その日の天気や波を見て迷うことがなくなります。
日本人はサラリーマンが多いので、この日に海に行くと決めたらなかなか予定をずらすという決断ができません。
しかし、それが命とりになることもあるのです。
ただ、ありがたいことにライフジャケットというのは一度購入すると、何年も使い続けることができます。
実際、着けてしまうと、親も子供も安心感がぜんぜん違います。
子どもが少し離れたところで遊んでいても、腹の底の落ち着き具合もかなり違う。
特に川や湖は海の数倍リスクが高まるので、川や湖に行くときはことさらライフジャケットを持参するようにしてください。
ただし、体に合っていないと浮いてくれないので、選び方についてはこちらを参照していただければと思います。
もちろん、ライフジャケットを着けたから終わり、ではありません。
着せたから見なくていい、ではないんです。
着けさせたうえで、見守りもちゃんとやる。
海と川と湖は、この二段構えでいくことが非常に重要だと思います。
そしてやっぱり、子供はママにとっていちばんの大事な存在、であることをパパが確認してから出かけることです。
「気をつけてね」と言われて「はいはい」で出ていってはいけません。
- 「風が強かったら岸で遊んで」
- 「疲れてきたら早めに上がって」
- 「ちゃんと帽子を被らせて」
- 「こまめに水分補給させて」
- 「危ない場所にはいかせないで」
- 「一人で行動させないで」
- 「安全運転でいってきて」
ママの「気をつけてね」には、こういう様々な意図が含まれてることをちゃんと理解しておく必要があるからです。
少しうるさいくらいで、ちょうどいい。
最後は、帰ってきたときの報告も大事です。
「大丈夫だったよ」で終わらせると、送り出した側の不安は何ひとつ減っていません。
今日はどこで遊んで、何を着せて、どこから先には行かせなかったか。
そこまで話して、ようやく次も任せてもらえるようになります。
面倒に思えますが、家族間の信用につながる話なので近道はありません。
父親のときに子供がトラブルに見舞われやすいという話は、実際のところ本当に多いのかどうか、これからも数字では出てこないのでしょう。
ただ、ママたちからそういう意見があることは、ちゃんと受け止めておいて損はありません。
我が家も、子供に対する妻の視野の広さを、私ははっきりわかっていませんでした。
いままで事故がなかったのは幸運なだけだった。
そう考えながら、水難事故のニュースが流れてくる度、その戒めをしっかり心に刻んでいます。